畳Q&A(2)


Q・白縁というものは現在もあるものなんでしょうか?お産の時に使うと聞いたことがありますが?
現在伝承されている、白い畳縁は、麻布製の「高宮縁」のことではないかと思います。大麻(日本麻)を、生地のままか、晒し(さらし)をして、ざっくりと手織機で、平織にした小幅の反物で、主にはお坊さんの法衣に使われる、色々な植物染めの手の混んだ作りの伝統的な高級材料です。「高宮縁」は伝統的な茶室の床の間など、詫び寂びに時としてたまに使われます。

又、大和錦とかの高級絹織物で、白無地の紋様つきのものが“しとね”という、いぐさの畳表を5〜7枚も重ね縫い合わせて真綿を入れて作る厚い拝敷用の御座の畳に使われます。これは神仏用具の物で、縁ではなく上側の皮に使用します。

白縁は、今の光輝畳縁では未だ出来てはいないと思います。

また、お産の時の部屋に使われたとすれば、純粋無垢な白に穢れ(けがれ)を祓う(はらう)神聖さを求めたものと思慮されます。
遙か昔の事ですが「御産小屋」が母屋と別棟で建てられ、その御産を指していたのか“大変に穢らわしいものが有る”という認識が有って、産婆さん以外、あるいは男子禁制の場所でした。

御祓いと言うことならば、武士が切腹をする時には北向きの4畳間を不浄用の部屋として腹切りの間に充当し、穢れ無きようにと白い畳縁に張り替え、裏を返して不祝儀敷きの四つ井敷きに敷き替え、切腹を神聖な格式高い儀式とする時代の場合も有ったようです。
そして血に染まって汚れた畳は、総て新品の材料の物に取り替える事で、その穢れを祓えると、合理的に考えたのです。

 ※畳縁の事については、身分制も強く関与しております。
  様々ないわれが伝承されていたようですので、畳Q&A1に掲載して
  有ります「なぜ畳の縁を踏んではいけないのか?」もご参考に。

Q・体育などで使っているような縁のない畳はいつぐらいから  あるのでしょうか?
それは柔道畳のことだろうと思いますが、 ほかにもスポーツ用では、合気道用、空手用、逮捕術用等も有り、みな縁無畳です。

このような格闘技では摺り足で動きますが、足の指などが引っ掛かってはいけませんので滑らかに真平らである必要があるわけです。

住まい用の縁無畳には、三角いぐさ(七島い)の青表を使った流球畳が代表で、“丸い”表の坊主(野郎付け)畳も有ります。

“七島い”は1663年頃、琉球地方(七島、薩南諸島)に自生していた青筵(あおむしろ、せいえん)用に栽培されていたのを、豊後国(大分県)に移植し、畳表にも作られたのが始まりであるとか、あるいは1660年頃に、薩摩国(鹿児島県)から伝わったのが先とも言われて居ります。

また“七島い”は“丸い”に比べて、約7倍の摩擦強度を有しているので、丈夫であり、縁布を使わずに角を居り曲げて畳にすれば滑らかで長持ちして経済的だったから、という事がありますが、最近ではデザイン的にすっきりするので、改めて見直されています。

Q・畳に現代のような縁がついたのは、いつからなのでしょうか?

畳縁の材料としては、絹、麻、綿、合繊(人絹、スフ)、化繊(ポリエチ、ポリプロ、パイレン、ビニロン、テトロンなど)が有り、種類では光輝縁と裁断縁、あるいは細巾織物(13cm以下)と小幅織物(50.8cm以下縁用は主には1尺2寸ぐらい)と広幅織物に区分けしてます。

現在の主な物は殆どが化繊で、一部の綿と若干の絹、麻、合繊が有り、またそのほとんどを、細巾の光輝縁で占めて居ります。この細巾光輝縁が発明されたのは明治41年頃で、その頃迄流行っていた、帽子用の黒いリボンの応用で思い付き利用され、綿糸の艶掛け加工と、製織、染色の工夫で綿糸製の光輝縁へと発展し、絹、麻製の小幅裁断縁から順次変わって来たのです。
大正12年、昭和7、8年頃に大流行した後は、昭和24、5年以降に本格的な綿製品の生産が出来るようになり現在に至っております。


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